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- [:ja]SGH北欧リトアニア研修⑥(7日目)[:]
[:ja]SGH北欧リトアニア研修⑥(7日目)[:]
- 2017/3/26
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- ジャミナ高校
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[:ja]土曜日の今日は、ジャミナ高校の生徒9名、教員1名とともに、リトアニア国内のツアーに出かけました。
主な行先は2か所。1つは、杉原千畝記念館。第二次大戦中に、在リトアニアの日本領事代理としてユダヤ人にビザを発給した杉原千畝氏の資料が展示されています。2つ目は、十字架の丘。他国の侵略を幾度となく受けたリトアニア人にとって、平和を祈る重要な場所となっています。
杉原千畝記念館は第二の都市カナウスに、十字架の丘はリトアニア北部の街シャウレイ郊外にあります。
ジャミナ高校を9時に出発し、約100Kmバスに揺られリトアニア第二の都市、カウナスに向かいました。この地は、第二次世界大戦中、ポーランドに占領されたビリュニスにかわり、リトアニアの首都となっており、杉原千畝氏も、在カウナス領事館、領事代理としてこの地に赴任しました。
1939年、ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻すると、迫害から逃れるため多くのユダヤ人がアメリカへの渡航を希望しました。しかし当時、安全にアメリカに渡るには、ソ連を抜け日本からアメリカへ向かうしかなく、多くのユダヤ人が日本のトランジット・ビザを求めて在カウナス日本領事館を訪れました。
当時、日本の友好国であったナチス・ドイツを刺激する事を避けるため、日本政府はユダヤ人へのビザ発給に慎重な姿勢を見せていましたが、領事代理の杉原千畝は人道上の観点から独断でビザ発給を決定しました。彼のビザ発給により難を逃れたユダヤ人は6000人以上にのぼります。
昼食は、バイパス沿いのレストランでとりました。メニューはリトアニア語のみ。ジャミナ高校生に通訳してもらいながら、それぞれ料理を注文しました。
昼食後、カウナスから更に150kmバスを走らせ、シャウレイ郊外の十字架の丘に到着しました。
ここは、リトアニア人が願いを込めて十字架を設置する為に訪れる祈りの場所となっています。十字架の数は5万を越えると推測されています。
19世紀、ロシア帝国への蜂起に失敗した後、リトアニアの反乱兵の家族が十字架を建てた事が十字架の丘の始まりだとされています。ソ連の支配下では、何度もソ連当局から十字架の撤去や焼却が行われたそうですが、それでもこの丘から十字架が絶えることはなかったそうです。
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